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映画『沈黙 サイレンス』考察ネタバレ感想/ラスト結末は?宗教や神とは?

沈黙 サイレンス 映画/ドラマ

原作は遠藤周作の小説。17世紀。江戸初期の日本でのキリシタン弾圧で宣教師が信仰をすてたと聞いた弟子達は、キチジローの手引きで長崎に上陸するが自らも決断をせまられ…(ネタバレ感想あらすじ↓)

映画名/邦題沈黙 サイレンス
日本公開日2017/1/21 [予告] 上映時間:162分
製作国アメリカ
原題/英題Silence
監督・キャストマーティン・スコセッシ
キャスト
出演者
アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライバー、浅野忠信、キアラン・ハインズ、リーアム・ニーソン、窪塚洋介、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮
映倫区分日本:PG12(小学生指導必要) USA:R
配給/製作
(画像出典)
KADOKAWA/IMグローバル
日本興行収入8.4億円 (興行収入ランキング
世界興行収入0.2億USドル [出典]
製作費0.5億USドル
平均評価
平均:100換算
*批評家と一般は単純平均
(興収・評価: 2024.8.22更新)
75私の評価は含まず)
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ネタバレ感想『沈黙 サイレンス』解説と評価

以下ネタバレあり感想考察なのでご注意を!

『沈黙 サイレンス』ネタバレ感想の総評

遠藤周作の名作小説『沈黙』のハリウッド映画化です。マーティン・スコセッシ監督は遠藤周作の小説をほぼ読破してるほどのファンで、沈黙の映画化も約30年間も思い描いてきたようです。劇中でエンドロールでさえ、人工的な効果音・音楽・BGMを使わず、波・風・虫の音だけなのはこだわりを感じさせます

主役のロドリゴ神父を演じきったアンドリュー・ガーフィールドは『ハクソー・リッジ』でも強くキリスト教に影響を受けて沖縄戦を演じたので、偶然とはいえ宗教と日本には浅からぬ縁があるようです。『アメイジング・スパイダーマン』を演じたように、幼さも残る俳優なので葛藤するシーンにも説得力があります。

ストーリーはロドリゴら若い神父が日本に密入国して、かつての師フェレイラ神父が棄教したという真相を探っていく話ですが、段階的に日本でのキリスト教弾圧の光景を見せることにより、じょじょにロドリゴに宗教や神についての疑惑を抱かせるという見事な構成になっています。

信仰する者が苦しみ死ぬ間際でも、なぜ神は沈黙したままなのか」という、時代が時代ならタブーになりそうなテーマを何度も何度も繰り返します。井上奉行との禅問答も本質に近い部分をついてて興味深いです。宗教とは、神とは、信仰とは、などについて久しぶりに考えさせられます。

また一見すると悪役にも思える井上奉行が、今の司法のように公平にふるまうのも少しづつ魅力的に思えてきます。キチジローの存在は、この物語の鍵となりますが、最も現代の日本人に近い精神性を持つようにも感じるし、皮肉にも最も人間的であるようにも見えます。弱さゆえに信仰を棄てきれない顔は、イエスの顔とも重なってきます

エンタメ要素は全くなく、日本という小さな島国での歴史なので、米国も含めて世界的な興行収入は惨敗に終わりましたが、日本でもふるわなかったのは残念です。日本人の精神性は今も昔もそれほど変わらないと感じられる映画でもあるので、DVD/Blu-rayなどでもぜひ1度は観ることをおすすめします。

おすすめ10ポイント

少し残念5ポイント

沈黙 サイレンス 映画/ドラマ

『沈黙 サイレンス』ネタバレあらすじや解説

17世紀、江戸時代初期の日本。長崎では厳しい隠れキリシタン弾圧が行われ、雲仙地獄谷では穴の空いた桶に熱湯を入れ、少しづつ体にかける拷問により、多くのキリスト教宣教師が棄教(信仰をすてること)します。クリストヴァン・フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)もその光景を見せられ棄教を迫られます。

ポルトガルのイエズス会の宣教師セバスチャン・ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)とフランシス・ガルペ神父(アダム・ドライヴァー)は、師であるフェレイラ神父の棄教のうわさを聞き、信じられず確かめるために、危険を覚悟して日本へ渡ることを決意します。

中国のマカオに着いたロドリゴ神父とガルペ神父は、日本へ密入国する中国船と、マカオ滞在の日本人キチジロー(窪塚洋介)という案内人を見つけることができます。しかしキチジローはキリスト教徒ではないと言い不安になりますが、なんとか長崎のトモギ村への密入国に成功し、村人に手引されます。

モキチ(塚本晋也)は、そこには司祭がいないため「じいさま」と呼ばれる村長のイチゾウ(笈田ヨシ)だけが洗礼を行えると言います。ロドリゴらは最初は、夜の真っ暗な家や不気味な女性や吐き出すほどの粗食などに動揺するが、彼らのもてなしに感動して、持ってきた十字架を差し上げます

ロドリゴらはキリスト教の宣教師なのに、密入国やその国で禁止されてる布教活動をしてもいいのでしょうか。序盤からそのことが気になってしまいます。どの国で宗教弾圧されても宗教はなくならないので、法よりも信仰が優先されると考えるべきなのでしょうか。

ロドリゴらは炭小屋に隠れて、夜だけ外へ出て、村人の懺悔を聞き、真っ暗闇の中ミサを行います。そんな生活がつづくと、ガルペ神父はしだいにいらだちます。2人で小屋の外でくつろいでると、何者かに見つかってしまいます。2人は小屋に隠れますが、キリシタンがやって来て、五島列島へ来てほしいと頼まれます。

キチジローも五島の出身で、8年前の井上奉行の隠れ切支丹狩りの時に、イエスを否定して踏み絵をして、家族のうち自分だけ助かったそうです。ロドリゴ神父だけが五島列島へ船で向かい、手厚く歓迎されます。やがて近くの村からも信者が集まってくるようになります。

フェレイラ神父と長崎で会ったという人も見つけますが、今は危険で近づけないと言います。信者たちは信仰の対象物を求めたので、十字架や自分のロザリオの一部などを配りますが、キチジローは手に取らず逃げ出します。彼は「もらう資格がない。家族が焼かれるのを見て、自分だけ信仰を棄てた」となげきます。

ロドリゴ神父が懺悔を聞いて、キチジローは信仰をとりもどします。約1週間後、ロドリゴがトモギ村へ戻ると、村長のイチゾウが井上奉行に捕まっていて、3日後に神父様やキリスト教徒を引き渡さないと、村人4人を長崎へ引っ捕らえて行くと告げます。しかし村人たちは神父を逃がすことに決めます。

キチジローは村人たちに密告者と疑われて、4人の人質の1人にされます。ロドリゴ神父はモキチらに「踏み絵は踏んでもいい」と言いますが、ガルペ神父は「ダメだ」と言い意見が分かれます。モキチはイチゾウ用に作った手作りロザリオをロドリゴ神父に手渡します。そして4人の人質は井上奉行に連れて行かれます。

4人はイエス・キリストの踏み絵を強要されますが、ロドリゴの教えのとおり踏みます。しかし井上奉行はそれでは許さず、大きな十字架にツバを吐いて、聖母マリアを淫売と呼べと強要します。キチジローは十字架にツバを吐いて解放されますが、イチゾウ、モキチともう1人は拒否して十字架に縛られ、酒を飲まされ波に打たれます。イエスは磔刑の時、酢を飲まされたそうです。

ロドリゴ神父とガルペ神父も草むらに隠れて、一部始終を見守ります。村長のイチゾウは高齢でもあるので、高波に打たれてすぐ死んでしまいます。モキチは4日間生き延びて、最後は賛美歌を歌って死んでいき、キリスト教式ではなく火葬されて灰は海に巻かれます

キチジローはあっさりと十字架に唾を吐いて軽薄に見えるけど、より現代の日本人に近い気がします。つらい暮らしの中、少しでも楽になるために精神的なよりどころとして信仰する宗教が、命より大切に感じられるというのは本末転倒に思えます。しかしこれこそが宗教的な洗脳なのかもしれません。

ロドリゴ神父はヴァリニャーノ院長宛の手紙で「彼らの死の前の叫びを主は聞いたでしょう。主の沈黙の意味を彼らに説明できますか」と書きます。その後、ガルペ神父は平戸へ行くことになり別れます。ロドリゴは五島列島へ向かいますが、厄介者のように扱われて、船から飛び降りて島へと渡ります。

しかし上陸したのは廃村で猫しかいません。ロドリゴは主の沈黙により絶望しそうになりますが、村を探し歩いてる時、キチジローと再会します。ロドリゴは最初はキチジローのもてなしを嫌がりますが、やがて懺悔を聞き、キチジローのために祈ります。2人は近くのキリシタンの所へ向かいます。

神父を奉行に売ると銀貨300枚もらえるので注意するよう、キチジローに言われ、ロドリゴはユダが売ったイエスの価値は銀貨30枚だったのにと嘆きます。ロドリゴは喉が乾いたというので、キチジローは小川へと連れて行きます。そこで顔を洗うロドリゴは、水面に映る自分の顔が「イエス・キリスト」に見えます

ロドリゴは狂ったように笑っていると、そこへ役人たちが現れて捕まります。キチジローがまた裏切って、銀貨300枚をもらっています。そんな状況でもキチジローは赦しをこいます。ロドリゴはキリシタンの村人の所へ連れて行かれ、殺されることに動揺を見せますが、村人達は穏やかなので恥じて謝罪します。

農民の洗礼名モニカ(小松菜奈)とジュアン(加瀬亮)はロドリゴに、死ぬと空腹も病気も税金も重労働も痛みもない「パライソ=天国」に行けるのかと尋ねます。ロドリゴはもちろんだと言います。村人たちは連れて行かれ、井上筑後守(イッセー尾形)はロドリゴが棄教すれば、村人は救われると交渉してきます。

井上は長崎でキリシタン(隠れ切支丹)を捕らえて拷問し、見せしめで殺害してきたが逆効果だったと話します。また井上は、ロドリゴが優れた宣教師なら、キリスト教徒を助けてやるべきだとも言います。そしてロドリゴは檻に入れられ、ポルトガル語の通訳(通辞。浅野忠信)と引き合わせられます。

ロドリゴ自身も少しづつ「神の沈黙」に疑問を感じはじめます。また「死」を身近に感じた神父であるロドリゴが、ただの異国の信者よりも取り乱した場面も象徴的です。日本の信者たちは死後の素晴らしい世界を信じてるけど、ロドリゴは信じてないということになります。

通訳はポルトガル人の神父から言葉を学んだそうですが、その神父は最後まで日本語も日本食も習慣も学ばなかったと批判します。そして、仏は信仰によらず全ての人間を見るのに、神父はキリスト教徒にしか興味がないとも批判し、「転ぶ」すなわち信仰を棄てないと、切支丹の命は次々に奪われていくとおどします。

そして実際に「転んだ」宣教師の中にフェレイラ神父もおり、今では日本の名前を持ち、日本の妻もいて有名人だとも伝えますが、ロドリゴは信用しません。長崎の牢屋に閉じ込められたロドリゴは、井上筑後守らに「ポルトガルでは優れた宗教でも、日本では危険と判断された」と言われます。

ロドリゴ「我々はあらゆる国にとっての真実をもたらした」。役人「ある土地で育つ木も、違う場所では枯れることもある」。ロドリゴ「芽が育たないのは土壌のせいではなく、毒があるからだ。私の信仰は奪えないし、あなたたちを変えようとも思いません。井上さまに合わせてください」。みんなに笑われます。

井上筑後守「わしが奉行の井上だ」と言って去って行きます。別の日、キチジローが「俺は切支丹だ」と言って牢屋に入れられます。他の切支丹たちからは、スパイだと警戒され差別されます。キチジロー「告解させてください。時代が悪いのです。弱い私をお赦しください」。ロドリゴはまた彼のために祈ります。

別の日、ロドリゴの見る前で、5人の百姓キリシタンが踏み絵を試されますが、誰も踏まず牢屋に戻されます。ジュアン(加瀬亮)だけ外に残されて、あっさり斬首で首を切り落とされて、胴体は自分たちが掘った穴に埋められます。そしてキチジローはまた躊躇なく踏み絵をして解放されます

通辞の浅野忠信は宣教師の気持ちも少しはわかるけど、井上奉行の忠実な部下でもあるという微妙な立ち位置を見事に演じています。ロドリゴと井上らとの禅問答は何回か見れて、この映画の本質が語られて面白いけど、あまり映画的ではないのが残念です。加瀬亮の首がいきなり落ちてきたのはショックです。

井上奉行はロドリゴと禅問答します。井上「ある男に4人の美しい妾がいたが、争いが絶えず追い出したら再び平和が訪れたが、どう思う?」。ロドリゴ「懸命だ」。井上「その男は『日本』で4人の愛人はスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスで、あなたは日本が懸命だと言うのならうれしい」

ロドリゴ「我々は一夫一婦制なので、仮に日本が1人の正妻を選ぶなら?」。井上「ポルトガルのことか?」。ロドリゴ「いえ、キリスト教(聖教会)です」。井上「1人の妻なら外国人や不妊女性は選ばないだろう」。ロドリゴ「結婚で重要なのは国籍ではなく『愛』です」。井上はこの時の説得をあきらめます。

この禅問答は個人的には一番好みです。井上が話し始めた時は世間話だと思ったけど、実はロドリゴをハメるための巧妙な、たとえ話です。しかし最後はロドリゴが、国を選ぶのではなくキリスト教を、そして愛こそが重要だと説いて、井上も反論できずに悔しがります。井上も残酷だけど悪人ではない気がします。

別の日、ロドリゴは遠出で海岸まで連れて行かれ、通訳に「1日3食の快適な暮らしで心が屈服しそうになる。それが井上さまのねらいか?」と尋ねます。通訳「今日はぜひ会わせたいポルトガル人がいます」。歩いてきたのは縛られたガルペ神父と、キリシタン農民たちと役人です。

農民(小松菜奈など)はわらのゴザで簀巻きにされて、ボートで沖に運ばれ海に落とされ、溺れ死ぬまで棒で沈められます。それをガルペに見せて棄教をせまり、信仰を捨てれば農民を助けると言います。ロドリゴの叫び声は聞こえません。ガルペは沈められる切支丹を助けに行き、ついに自分も溺死してしまいます。

ガルペからロドリゴが全く見えてない演出はおかしいと感じます。ガルペはロドリゴの棄教を聞かされても、隠れキリシタンが目の前で殺されようとしても、自分は棄教することなく死んでいきます。その頑固さは「イエスは天国にはいない」「踏み絵をするな」など序盤のやりとりでも表現されています。

牢屋に戻されたロドリゴは神に語りかけ「なぜ沈黙のままなのか。答えるつもりはないのか」と言って狂ったように笑い転げます。別の日、通訳(浅野忠信)にある寺へ連れられて行き、ついにフェレイラと再会できます。彼は仏教の寺に住み、天文学や医学を教えながら、司祭が「転ぶ」のを手伝ったりもしています。

やっと日本でやるべきことを見つけたとも言います。キリスト教の教えを否定する書物も書いたそうです。彼は最後は肥溜めで逆さ吊りにされ、耳を少し切られて血が垂れ落ちる拷問の末、イエスを絵踏みして「転んだ」のです。今は沢野中庵(さわのちゅうあん)という和名を名乗っています。

元フェレイラ「我々の宗教は日本では根付かない。フランシスコ・ザビエルは最初に神の御子は『大日』つまり太陽だと教えた。日本人にはキリスト教の神が理解できないから」。ロドリゴ「あなたは恥だ。自分の弱さを正当化している」。沢野「今は日本名を名乗り、妻子もいる身だ」と言い去って行きます。

映画『沈黙 サイレンス』ネタバレ結末ラスト

別の日、ロドリゴは大男(高山善廣)に牢屋から出され、町内でさらし者にされながら別の牢へ移されます。夜、キチジローが赦しをこいに来て、ロドリゴは渋々祈りを捧げます。看守のいびきがうるさいとうったえたロドリゴは、側にいた通辞とフェレイラに「逆さ吊りされた隠れキリシタンの苦悶の声だ」と教えられます。

独房の壁にはフェレイラが神父の時に書いた「Laudate Eum」(讃えよ、主を)の文字が刻まれています。フェレイラ「穴の中の切支丹はイエスのようには感じてない。あなたは彼らのために祈るだけか。彼らを救えるのは『神』ではなく『あなた』だけだ」。ロドリゴ「信者たちよ、もう棄教せよ。転ぶ。転べ」

フェレイラ「おまえが棄教せぬと犠牲はずっと出る。イエス・キリストなら彼らを救うために棄教するだろう。イエスにおまえの愛を示せ」。通辞「形だけでいい」。踏み絵のイエス「踏みなさい。私はあなたの痛みを分かつために十字架を背負った。沈黙してたのではなく共に苦しみを感じていたのだ。踏みなさい」

今まで沈黙してたイエスがついに言葉を発しますが、これはロドリゴの心が生んだ都合の良い幻像だと解釈していいのでしょうか。ロドリゴは踏み絵をした後、文字通り「転び」ます。ここや小川に写ったイエスの顔が、棄教を繰り返すキチジローに似てるのは皮肉なのか、苦しみながらも生き続けて信仰をやめない彼こそが最もイエスに近い存在だということでしょうか。

完全な静寂と沈黙の中、ロドリゴにはイエスの顔が浮かび、ついに踏み絵をして「転び」ます。通辞の合図で逆さ吊りの5人は穴から出され、助けられます。静寂がやぶられると、虫の音が激しく聞こえてきます。それ以降、ロドリゴは「転びのポウル」と呼ばれるようになります。

その後はフェレイラを手伝い、オランダからの輸入品でキリスト教に関する物を見つける仕事をします。ロドリゴは長崎奉行の井上筑後守の命により、江戸で亡くなった岡田三右衛門という男の名前と妻子を引き継ぎ、残りの人生を江戸で暮らします。井上は棄教の宣言文を何度も要求して見張り続けます。

ロドリゴの側にはキチジローもいて、彼は未だに赦しを得るために告解したいと言います。キチジローは何度棄教しても信仰を棄てません。キチジロー「私はパドレ(ロドリゴ)も家族も主も裏切った」。ロドリゴは告解を聞いてやります。ロドリゴ「たとえ神が沈黙しても、私は沈黙の中で声を聞きました」

井上奉行はその後も踏み絵を続けさせます。ロドリゴは一度も疑われることはなかったけど、キチジローはどこで手に入れたのかロドリゴが持ち込んだ宗教的な彫り物を隠し持っていたため、連行されてどうなったか不明です。ロドリゴはその後も、キリスト教の神に祈らず語ることもなかったそうです。

ロドリゴが亡くなった時でさえ、監視役が棺のそばで見張ります。妻だけが遺体を見ることが許され、悪霊を追い払う「守り刀」を入れる時に一緒に「何か」を遺体の手に隠しました。仏式で火葬され、戒名もつけられました。燃やされる遺体の手の中には、モキチから譲り受けたロザリオが握りしめられていました。

エンタメ要素や音楽なども一切なしで、遠藤周作の小説をかなり忠実に再現してると思います。日本人には縁遠い宗教がテーマだし、細かい説明があるわけでもないので理解しづらい点もありますが、身近でないからこそ考えさせられる名作だと思うので、ぜひ1度は観ることをおすすめします!

私の評価 69/100(60が平均)

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