米映画『ザ・マスター』考察ネタバレ感想/ラスト結末は?真のマスターは誰?
第二次世界大戦後にアメリカへ帰還したフレディはアルコール依存症に悩まされてる時、偶然出会ったランカスター・ドッドと親しくなります。ドッドは新興宗教ザ・コーズでマスターと呼ばれ多くの信者を抱えていたが…(ネタバレ感想あらすじ↓)
映画名/邦題 | ザ・マスター |
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日本公開日 | 2013/3/22 [予告] 上映時間:143分 |
製作国 | アメリカ |
原題/英題 | The Master |
監督・キャスト | ポール・トーマス・アンダーソン |
キャスト 出演者 | ホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ローラ・ダーン、アンビル・チルダース |
映倫区分 | 日本:R15+(15歳以上) USA:R |
配給/製作 (画像出典) | ファントム・フィルム、ワインスタイン・カンパニー(USA)/Weinstein Company、Ghoulardi Film Company、Annapurna Pictures |
日本興行収入 | |
世界興行収入 | 0.2億USドル [出典] |
製作費 | 0.4億USドル |
平均評価 平均:100換算 *批評家と一般は単純平均 | (興収・評価: 2024.8.25更新) 67(私の評価は含まず) |
シリーズ 関連作品 | ヒューマンドラマ/恋愛/コメディ一覧 |
ネタバレ感想『ザ・マスター』解説と評価
以下ネタバレあり感想考察なのでご注意を!
映画『ザ・マスター』は、戦争から戻りPTSDのアル中で社会復帰に苦労してたフレディと、新興宗教ザ・コーズ(サイエントロジーを参考)の教祖ドッドが出会い、お互いにないものを求めて友情を深めていくドラマ映画です。
この映画のおすすめ5ポイント
- 2人の男の友情と別れの物語
- 二大俳優の競演
- 新興宗教の教祖の苦悩
- カウンセリングによる再生
- 誰が誰のマスターなのか?
少し残念つっこみどころ4ポイント
- 長い
- 難解。わかりづらい
- エンタメ要素はほぼない
- 大衆向けではない
映画『ザ・マスター』ネタバレ感想と解説
見てるうちに、これはすごい映画だと思ったのですが、何がすごいのか説明できません。メインストーリーは単純で、戦争のよるPTSDで社会にとけ込めない男が、新興宗教のマスターと出会い、カウンセリングで再生していくのですが、結局最後は別れることになるという物語です。
アメリカの新興宗教サイエントロジーについて描かれているかと思いきや、全くそんなことはなくて、むしろ宗教色はそれほど強くないです。メタファー(暗喩)っぽいのも多いけど、説明は全くないので、視聴後もすっきりしません。映画の楽しみ方は人それぞれなので、特に深読みする必要もないと思います。
マスターの言動からは、それほど信者を集められない気もするのですが、実際は組織がどんどん拡大していきます。現実の宗教もそんなものかもしれません。フレディが最終的に洗脳されなかった理由は、アル中だったこともあるだろうけど、戦争で一度洗脳されたことも関わってる気がしますが、どうなんでしょうか。
ネタバレあらすじ感想
太平洋戦争から帰還したフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は、アルコール依存症で精神病院にも入ってて「家族」を持ちたいと思っています。写真屋の仕事につきますが、客に暴力をふるってしまいます。自前の密造酒も原因の1つですが、人の家族写真を撮影することがストレスだったんじゃないかとも感じました。
フレディは停泊中の船にだまって乗りこみ、そこでランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)に密造酒を気に入られます。ランカスターは新興宗教「ザ・コーズ」のマスター(教祖)で、彼の娘と信者の結婚式が船内で行われました。
船内でランカスターはフレディに、独自のカウンセリング(プロセシングやセッションともいう)を行います。フレディは故郷で、ドリスという女性に必ず戻り結婚しようと約束したことを語り涙を流します。たぶん経済的に立ちなおれたら訪ねるつもりだったんでしょう。
フレディは女性の裸に対して、異常なほど執着心が見られるのですが、それはドリスに会いに行けない自分のふがいなさがストレスになっているのではと感じました。例えば、砂浜で女性の全裸像を作って抱きついたり、ランカスターの周りの信者が全裸に見えたりして、まるで精神病のようです。
フレディはランカスターのカウンセリングにより、心が楽になったようで、彼の力を信じるようになります。そしてザ・コーズを批判する者を影で殴りつけるという、負の仕事を成し遂げます。それに対してランカスターの妻ペギー(エイミー・アダムス)はよく思っていません。
ランカスターは妻ペギーには頭が上がらない感じで、フレディにも近づきすぎるなと忠告されます。これは宗教団体「ザ・コーズ」を守るためともとれますが、同性愛的な意味でフレディを好きになるなと指摘してるようにも感じました。ペギーはフレディに酒をやめろとも言いますが、フレディは口約束だけです。
フレディはランカスターと共に逮捕された時も、牢獄内であり得ないくらい暴れます。ランカスターはフレディに「きみを好きなのは私だけだ」といってなだめます。しかしペギーらはフレディを追い出すよう詰め寄ります。
それでもランカスターはフレディを見捨てず「彼を救わねば」と、部屋を何度も行き来させたりして洗脳を試みます。フレディは大人しくなり効果があったと思われた頃、マスターの著作「割れた剣」を侮辱した者に暴力をふるってしまいます。
この時点で、フレディは決してランカスターにより洗脳されることのない人間だということがわかります。そしてそのことを、ランカスターとペギーも感じたようでした。ちなみにペギーも洗脳されない人間のようです。この三角関係については後に考察します。
ランカスターはフレディを砂漠のような場所に連れていき、指定場所へバイクで全力疾走してそこの何かを持ち帰るという修行を行います。しかしフレディは「向こうの岩山を目指す」と言って走り去り、戻ってきませんでした。ランカスターの元から去って行ったのです。
フレディはついに決心して、ドリスを訪ねますが、既に結婚して子どももいました。そんなドリスの住所を教えようとする母親は軽率すぎると思いましたが、フレディはキレることもなく、住所も聞かずに去って、こちらがホッとしました。
『ザ・マスター』ネタバレ結末ラスト
フレディは暴力を抑えられるようになり、プロセシングによる成果はあったのかもしれません。しかしアルコールはやめられず、酔って映画館での不思議な夢?幻想?を見ます。そこでは「ザ・コーズ」をロンドンまで拡大させたランカスター・ドッドが、すぐ来てほしいと言います。
もはやどこまでが夢の中かわからなくなってきますが、フレディはマスターに会いに行きます。ペギーは不快感を示しますが、ランカスターは「フレディにはマスターは不要だった」と言い、「On a Slow Boat to China」という愛と別れの曲を歌います。まるで恋人か親子の別れのようです。
再び1人になったフレディは、元のとおり欲望のままにアルコールや女におぼれます。ラストシーンは冒頭の砂浜と同様に、女性の全裸像を作って終わります。しかし今回は少し気が落ち着いてるようにも見えます。
結局、ザ・コーズのような組織に属すことには向いてなかったフレディは1人で欲望のおもむくままに生きる「自分が自分自身のマスター」なのでしょう。彼の洗脳とはすなわち、セルフコントロールのことです。
サイエントロジー的な船の船頭ランカスター・ドッドは「組織の象徴的なマスター」ですが、演説が微妙だったり、著作本の矛盾をつかれたらキレるなど、本質的には器が小さいです。だからこそ自由で自分に正直なフレディにひかれたのでしょう。
そのランカスターを手なづけてコントロールしている妻ペギーは「組織の頭脳でもあり、ランカスターのマスター」でもあります。宗教団体の拡大も彼女の手腕があってのものだと思いますが、フレディに関してはあまり力を発揮できなかったようです。
このような感じで、ランカスター・ドッド、フレディ、ペギーのそれぞれが三角関係のように三者三様なマスターを演じていた、というのが私の解釈です。もちろん映画なんて見る人によって解釈は変わってきますので、ぜひ1度見てあなた自身で考えることをおすすめします!
私の評価 51/100(60が平均)
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